2月10日に「消えた天才」で、Jリーガーの大久保嘉人選手がライバルと認める天才が取り上げられました。
大久保 嘉人(おおくぼ よしと、1982年6月9日 – )さんは、福岡県出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ジュビロ磐田所属で元日本代表です。ワールドカップも2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会と2大会に出場し、Jリーグで得点王を3回獲得している日本を代表する選手の一人です。ポジションは主にフォワード(FW)。史上初の3年連続Jリーグ得点王(2013年 – 2015年)であり、J1通算最多得点記録保持者という、すごい経歴の持ち主です。
その大久保選手がライバルだったと認める選手って誰なんでしょうか?そしてどんな人なんでしょうか?
今日は大久保嘉人選手がライバルと認める天才について記事にしたいと思います。
大久保嘉人がライバルと認める天才は誰?
大久保選手は福岡県出身ですが、長崎県の国見高校にあこがれ小学校卒業後に国見中学に入学されます。その後サッカーの強豪校、国見高校へ進学。国見高校の3年生時にはインターハイ・国体・選手権で優勝し、高校3冠の栄光を得ています(すごい)。さらにインターハイと高校選手権で得点王を獲得するという離れ業も見せました。
その大久保嘉人選手がライバルと認める天才、それは、国見高校での同級生川田和宏選手です。
本日、6月11日(土)はMF14 川田和宏選手の誕生日です!
Happy Birthday! #bbakita pic.twitter.com/eVZ4mSf0pt— ブラウブリッツ秋田(公式) (@blaublitz_akita) 2016年6月11日
ライバル川田和弘と大久保嘉人との関係は?
川田和宏選手と大久保嘉人選手は小学校時代に出会いましたが、当初は川田選手が中学3年生で高校生に混ざってプレーしているのを、大久保選手は応援する立場だったそうです。国見高校が3冠を獲得した時、大久保選手はFW、川田選手はMFでレギュラーでした。
学生時代の川田選手はいわゆる「エリート」。中学生の頃から高校生の中に混じってプレーしていたほどだったようです。大久保選手曰く「(川田選手は)ずば抜けていた」そうで、だからこそ大久保選手は川田選手を意識していったとインタビューで答えていました。
ふたりは小・中・高とずっと一緒で、小中は普通に仲良くしゃべっていたにもかかわらず、突然高校で全くしゃべらなくなったとか(!)。どうも、川田選手が大久保選手のことを、ものすごいライバル視して意識したからのようです。
川田選手は国見高校卒業後、福岡大学に進学しました。しかし、大学では1年生の時と4年生の時に1試合ずつオープン杯に出場したのみで、特に目立った活躍は出来ませんでした。。。
福岡大学卒業後は大分トリニータに入団。2005年、2006年とJ1リーグでプレーし2年間で10試合に出場しましたが、決して華々し結果とはいいがたいものになりました。その後、ガイナーレ鳥取→松本山雅FC→FCガンジュ岩手→秋田FCカンビアアーレ→ブラウブリッツ秋田と小刻みに移籍を繰り返し、2016年に現役を引退となりました。結局リーグ戦通算141試合に出場して8得点という成績に終わったのでした。
ものすごく大久保選手をライバル視していた川田選手。しかし、実はプロ1年目に川田選手の特性を見抜いていた監督から打診された「ポジション変更」を断ったため、活躍の場を自ら失うことになってしまったのでした。
それでもなんとかいつか大久保選手に追いついて追い抜きたい、という感情だけでサッカーをあきらめずにつづけた川田選手。とうとう、とうとうやってきた大久保選手との対戦の瞬間、川田選手は「全力でぶつかっても大久保選手には届かない」という自分の力の限界を知ってしまい、引退を決意したのでした。
川田選手は現役引退時「大久保嘉人の存在があったから、今まで頑張って来ることができました」というコメントを発表しています。大久保選手も当時「アイツがそんなこと言うとは思わなかったので、うれしかった」と語っています。あれだけ、しゃべらないほどにバチバチに意識しあっていた二人の関係だったからこそ、最後の言葉はものすごく意味深いなぁと思います。
川田和弘の今現在の職業は?
川田選手は引退後、ブラウブリッツ秋田でアカデミーコーチに就任し、U-12の監督として子供たちの指導にあたっているようです。
川田和宏氏、ブラウブリッツ秋田アカデミーコーチ就任のお知らせ https://t.co/owTnY6EoHG #bbakita pic.twitter.com/4zYX1MgDzz
— ブラウブリッツ秋田(公式) (@blaublitz_akita) 2017年1月10日
まとめ
「消えた天才」シリーズ、他人の人生ながら、全力で何かに打ち込んでいた人たちの軌跡を観られるのですごく好きです。そして、たとえ先でたもとを分かつことになろうとも、確かにその時同じ目標に向かってなりふり構わず競い合った関係っていうのは、そこに負の感情が絡むことがあったとしても、そこまでの切磋琢磨を誰かとしたことのない私にとっては、やはり少しうらやましいなぁと思います。これからもこの番組を見ていきたいと思います。
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