料理の鉄人イタリアンの巨匠神戸勝彦氏転落死の原因は?訃報を悼む仲間たち

1993~99年にレギュラー放送され、非常に人気の高かったフジテレビの人気バラエティー番組「料理の鉄人」に、“イタリアンの鉄人”として出演していたイタリアンシェフの神戸勝彦(こうべ・まさひこ)氏が14日午前10時15分、転落事故のため死去したことが20日に発表されました。

めっちゃびっくりしました。。。。まだお若いはず。。。。正直言葉が出ません。そして「なぜ?」と。。。。

今回は『料理の鉄人イタリアンの巨匠神戸勝彦氏転落死の原因は?訃報を悼む仲間たち』と題しまして、神戸勝彦さんの生前のご活躍と、事故の理由などについて記事にしたいと思います。

「料理の鉄人」とは

まずは、神戸勝彦さんが有名になられたきっかけである1990年代のテレビ番組「料理の鉄人」について紹介したいと思います。

【料理の鉄人】

料理・グルメ漫画などのフィクション作品で描かれる「料理人同士の対決」を現実に行うというコンセプトで始まった料理番組。

架空の団体「美食アカデミー」の主宰(鹿賀丈史)が、美食への追求とそれを生み出すに相応しい料理人を求め、美食アカデミー所属の“料理人=鉄人”と”挑戦者”を対決させると言う設定で番組は構成されていた。

鉄人には「中華の鉄人」「フレンチの鉄人」「和の鉄人」「イタリアンの鉄人」がおり、

・中華の鉄人…陳建一(ちん けんいち)
・フレンチの鉄人…石鍋裕(いしなべ ゆたか)
      坂井宏行(さかい ひろゆき)
・和の鉄人…道場六三郎(みちば ろくさぶろう)
      中村孝明(なかむら こうめい)
      森本正治(もりもと まさはる)
・イタリアンの鉄人…神戸勝彦(こうべ まさひこ)

と、錚々たるメンバーが名を連ねていた。

主宰役の鹿賀丈史が高らかに「甦るがいい、アイアンシェフ!!」と声を轟かせると、舞台の迫(せり)からアイアンシェフ=鉄人が現れるさまは、いまでも鮮やかに思い出せるくらい印象的でした。

舞台セットから演者の衣装から、空間の醸し出す雰囲気まですべてものすごく作り物めいていて「完全な架空の世界」であることはわかっているにもかかわらず、料理人たち(鉄人も挑戦者も)がものすごく人間臭く全力で対決する様は、異様なのに手に汗握るくらい現実味溢れていました。

観てるほうは「どっちもがんばって!」な気分になるというか、盛り上がるから挑戦者に勝ってほしいけど、鉄人にも負けてほしくないジレンマでもだえるというか、なんしかその対決中はテレビ画面を食い入るように観ていた記憶があります(めっちゃ好きやった)。

神戸勝彦(こうべ・まさひこ)氏のプロフィール

大学在学中に下北沢の和食店のアルバイトを始め、接客のかたわら調理を任される。アメリカ・ヨーロッパ・東南アジアと旅行する中で、イタリア料理に魅了され、1994年2月にイタリア・トリノのホテル学校で修行。フィレンツェにある『エノテカ・ピンキオーリ』に入店し腕を磨く。

1997年4月に帰国。西麻布「アル・ポルト」などを経て、2000年に東京・恵比寿に『リストランテ MASSA』をオープンした。MASSA(マッサ)はイタリア修行時代の愛称。

1997年6月13日にフジテレビ『料理の鉄人』に「イタリアンの鉄人」として登場。番組内でのキャッチフレーズは「パスタのプリンス」。

本人曰く、まだイタリアに滞在中だった同年1月にホテル学校の校長から「日本で料理コンクールがあるから出てみないか?」と誘いがあったので気軽に申し込んだところ、実はそれが『料理の鉄人』の出演者募集で、しかも番組側は第4の鉄人としての出演者を募集していたのに、本人はてっきり「挑戦者募集」だと思いこんでいたという。

自分が鉄人として番組に出演することを本人が気づいたのは、帰国直前にプロフィール用の映像収録を行った際のことで、本人は初回の収録直前まで慌てふためいたことを後に語っている。 
Wikipediaより引用

こんな「おっちょこ伝説」を経て鉄人になられてたとは知りませんでした!いやでもほんと、放送当時はめちゃくちゃ有名だったんですよー。迫から上がってこられる鉄人はみな、貫禄あって存在感あって威厳があって、めっちゃかっこよかったです。なつかしいなぁ。。。

自殺?事故?神戸勝彦氏転落死の原因は?

この訃報を最初お聞きした時、ほんとうに申し訳ないのですが「お若いのに転落って、もしかしてご自分で・・・?」と思ってしまいました。。。。で、慌ててあちこちニュースサイトみて、どうも違うぞと。

店内で仕込み中に高所から転落して倒れていたところをスタッフにより病院に搬送されたそうですが、意識を回復することなく、14日に帰らぬ人になったそうです。。。

お仕事の材料か道具か、何かを取ろうとされたのでしょうか、高所から落下してしまったなんて、残念でなりません。。。。

まだ49歳、これからますますご活躍されていくであろう、前途洋々な壮年期から中年期に差し掛かった年齢で、この世を去らなければならなかった神戸勝彦さんの無念を思うと、胸が痛みます。。。

神戸勝彦氏の訃報を悼む仲間たち

親交があったパティシエの鎧塚俊彦氏はフェイスブックで、「第一報を受けた時から嘘であって欲しいと念じ続けきっとそこにいらっしゃるはずと直ぐにお店を訪ねましたがやはりそこにはもういらっしゃいませんでした」「今でも恵比寿店の裏口を開ければ満面の笑みで両手に鍋を持って立っていらっしゃる気がしてなりません。『MASSA』神戸勝彦シェフ あなたほど優しく愛情に溢れ腕もたつ料理人はいませんでした」「恵比寿では先輩でしたが年齢は私より四つも下ではないですか早すぎます」と惜しみ、「働きづめでしたから少しゆっくりして下さいませ、そして少し休んだら女房に大好物のポルチーニのパスタでもまた作ってやって頂けますでしょうか? 神戸シェフ、本当にありがとうございました」とつづられました。

また、東京・六本木の人気フレンチ「ル・ブルギニオン」のオーナーシェフの菊地美升氏は、フェイスブックで「悲しいお知らせです。木曜日の朝、リストランテ・マッサの神戸勝彦シェフ(マサ君)がお亡くなりになりました。朝、スタッフが来る前に1人で仕込みをしていて何かを取ろうとして高い所から落ちたようです。スタッフが来て病院に運ばれましたが、意識が戻らなかったそうです」と報告されました。

特に鎧塚俊彦氏のコメントは、奥様の川島なお美さんのこともあり、すごく読んでてつらいです。。。。

まとめ

あまりに突然の、あまりにお若い、まだまだ活躍されるはずだった神戸勝彦さん。。。残念でなりません。心からご冥福をお祈り申し上げたいと思います。