3月17日の“消えた天才”で『北京五輪日本シンクロ史上初めてメダルを逃したあのメンバー』が取り上げられます。
その「元五輪選手」は、国民の期待を背負い2008年・北京五輪に挑むもトラブルが発生して結果は5位に・・・日本シンクロ史上初めてメダルを失ったのでした。
一体、その天才はどんな人なのでしょうか?そして、彼女に一体なにがあったのでしょうか?
今回は『シンクロ界の元五輪選手』について記事にしたいと思います。
北京五輪後、シンクロを現役引退した天才は誰?
今回”消えた天才”で取り上げられたのは、シンクロナイズドスイミング選手の小林寛美さん。2008年北京で行われた「第29回オリンピック競技大会」に出場した元五輪選手です。
小林寛美さんは2008年、北京オリンピックで必死の演技を見せてくれていましたが、競技終了間近に突如意識をなくしチームメイトに助けられました。
当時日本を担当していた方は「おそらく過呼吸になったんだと思います。彼女は神経質な選手であるため、以前にも何度かある」と言っていたそうですが、小林寛美さんはのちに「酸欠状態になったから」と理由を自ら語り、そういう終わり方をしてしまって申し訳なかったなどとおっしゃってます。
シンクロは見た目以上に壮絶な競技。ものすごく短い息継ぎを最大限に生かして、息苦しい水のなかでそうとは見せずに優雅に舞泳ぐシンクロナイズドスイミングは、私なんかには想像もつかないほどに厳しい競技なのでしょう。。。
もしかしたらたぶんですが。小林寛美さんはその息継ぎをフルに生かせず、酸欠の状態でシンクロし続けた結果の失神だったのではないでしょうか。だれも彼女を責めることはできないですし、よくぞ無事で。。。という状況だったのかもしれません。
しかし彼女はその後、しばらくシンクロの世界から離れる決心をしたのです。
小林寛美の経歴
ここで小林寛美さんのそれまでの経歴を少しご紹介を。
小林寛美さんは9歳の時に偶然目にしたシンクロに興味を持ち、競技人生をスタートされました。毎日10時間以上に及ぶ過酷な練習を乗り越え、23歳の時に念願の北京オリンピックに出場することになります。
2005年世界水泳選手権のチームで銀メダル、2007年世界水泳選手権でチームテクニカルルーティンで銀メダル、チームフリーコンビネーションで銅メダルを獲得してきたたほどの活躍を重ねたうえでの五輪挑戦でした。
しかし北京五輪では小林さん以外のメンバーのミスも重なり、演技終盤に酸欠を起こして意識を失ってしまった小林寛美さんは、その後一般職に就職し、一度はシンクロの世界と決別します。
ところが、やはりどうしてもシンクロの世界に未練があり、小林寛美さんはその後「競技選手ではない形」でシンクロの世界に舞い戻ってくることになったのです。
小林寛美の今現在は、シルクドソレイユでシンクロ披露
小林寛美さんが新たに活躍の場を見出したのはなんと、世界に名を轟かす『シルクドソレイユ』でした。しかも、その中でもトップクラスの人気を誇るショー「O(オー)」に所属されています。
“O”とは特設プールをステージしたショー。小林寛美さんはそこでシンクロナイズドスイミングのパフォーマーとして活躍されているのです。
小林寛美さんがシンクロへの思いを捨てきれず8年前にパフォーマーとして生きていくべく渡米を決意したとき、相談に乗ってもらったのが、かつて同じシンクロ日本代表チームのメンバーだった北尾佳奈子さんだったそうです。小林さんがアメリカに来た当時は北尾さんの家に住まわせてもらっていたとか。北尾さんも渡米後最初は先輩の家に泊まらせてもらっていたので同じことをしてあげられる相手がいて嬉しかったそうです。
小林寛美さんが出演する「O」のシンクロチームは、自分たちがメインの時だけでなく、1時間半のショーの間、ステージを彩る役割としてほぼ水中で演技をし続けているそう。客席からは見えない水中で時に酸素を供給しながら過酷な演技を行っているのだとか。。。
ショーは1日2ステージ。週5日、年間480回も出演している小林寛美さん。「メンバーは世界トップレベルのパフォーマーばかり。その中でショーをやれることに毎日幸せを感じている」とインタビューで応えている通り、パフォーマーとして充実した様子がうかがえます。
小林寛美は「グッと!地球便」に出演
小林寛美さんは、読売テレビ系列の「グッと!地球便」という番組に出演されたこともあります。そこで、新しい道を見つけた小林寛美さんに、お母様から「想い出のスイートポテト」が届けられました。選手時代もよく作ってもらっていたという母お手製スイートポテトは、きっとものすごく美味しくて、心に染みいる深い味がしたことでしょう。
小林寛美さんの父・義和さんと母・匡代さんは、「メダルを期待されていたのに獲ることができなかった。会社の人もたくさん応援に来てくれたんですが…。本人は本当につらかったと思う」と番組内で当時を振り返っておられます。失意のうちに終わった北京オリンピック。それ以来、親子でオリンピックについて話すことはなかったそうです。
小林さんは自分が出た次のオリンピックをテレビで見ているときが一番つらかったと語っておられます。リオオリンピックの時は吹っ切れ、応援して見ていられたそうです。でもきっと心の中にたくさんの葛藤があったであろうことは想像にかたくありません。
それでも、もし北京オリンピックで成功していたら現在の方向(シルクドソレイユでのパフォーマー)には行かなかったかもしれない、とおっしゃいます。それはきっと、挫折してもそこで折れず、また立ち上がり前へ進む強さを持っていた人だからこそ言える言葉だろうなぁと思います。
小林寛美の結婚相手は?子供はいる?
ちなみに小林寛美さんは現在結婚されてます。
ご主人はビージェイさん。彼もまたパフォーマーで、8年前に所属していた「ルレーブ」というショーで出会ったそうです。ビージェイさんは現在、「O」に並ぶシルク・ドゥ・ソレイユの人気ショー「マイケルジャクソONE」に出演されてるとか。
パフォーマーは体が資本の仕事。夫婦そろって家庭でも食事や体調管理に気を使うのはもちろん、世界最高峰の舞台でパフォーマーとして居続けるためには、自主トレーニングも欠かせません。小林さんは痩せすぎないため、練習中に補食でお餅を食べたりしていたといいます。
小林寛美さんご夫婦にはお子さんがおられ、夫婦で仕事のときはベビーシッターを頼んだりしながら、休日や仕事以外のときは常に家族一緒で家事なども主人と協力しあっているそうです。ご夫婦でシルクドソレイユのパフォーマー、きっとお子さんも身体能力に優れた、快活なお子さんなんだろうなぁと想像してしまいます♪
まとめ
一度は大きな挫折に見舞われた小林寛美さん、それでもシンクロの世界を「手放せず」というよりも「手放さず」、力強くまた手繰り寄せ今や世界の最高峰で活躍されていることを知り、「諦めない」ことがいかに大切かを教えてもらえました。
そしていつか「本物のシルクドソレイユ」が見てみたいなぁと♪小林寛美さんのますますのご活躍を応援しています!