消えた天才望月重良の今現在!結婚相手と職業は?難病が原因で現役引退!

2月24日の“消えた天才”『サッカー界のレジェンド・三浦知良&川口能活がその才能を認めた天才』が取り上げられました。

その「天才」は、小学校・中学校・高校と全ての年代で日本一となり、大学ではエースとして、日本サッカー史上初の世界一へと導いたほどの逸材だったそうです。
ですがいま、彼は表舞台から退き、サッカーをプレイしている話は聴こえてきません。

一体、その天才はどんな人なのでしょうか?そして、彼に一体なにがあったのでしょうか?

今回は『サッカー界の元天才』について記事にしたいと思います。

三浦カズと川口能活が認めた天才は誰?

三浦カズと川口能活に「天才」といわしめた元サッカープレーヤーは望月重良さんです。1995年ユニバーシアードの日本代表エースで優勝に導いた選手として有名で、Jリーグ・日本代表でも活躍しアジアカップ決勝で決勝点を決めたりと活躍していたので、覚えているファンもきっといらっしゃることでしょう。

一時は華々しく活躍していた望月重良さんでしたが、2007年1月末に現役引退を発表し、表舞台から姿を消しました。一体彼に何があったのでしょうか?

望月重良の経歴

引退理由の前にまずは、望月重良さんの経歴を紹介したいと思います。

小学校:庵原小学校サッカースポーツ少年団(清水FC)
中学校:庵原中学校
高校:清水商業(現清水桜ケ丘高校)
大学:筑波大学
大学卒業後:名古屋グランパスエイト入団

小学校時代には清水FCという小学生の選抜チーム、中学時代には東海選抜に選ばれています。小学校からすでに上手く、いわゆるスター選手だったそうです。

各世代の日本代表に選出されていて、まず注目を浴びたのが1995年に福岡で開催されたユニバーシアードでサッカー大学日本代表が初優勝を飾ったことです。このチームで望月選手は10番をつけて、チームに大きく貢献しました。

その後、大学卒業後の1996年より名古屋グランパスエイトに入団し、1997年にフル代表にも選出されます。そして2000年のアジアカップ決勝で、なんと決勝点を決める活躍を果たします。

ところが、ポジションを争う明神や波戸に押され出番が減り、さらに市川の台頭もありW杯本大会メンバーからは落選となってしまいました。2000年7月には「チームの秩序を乱した」という理由で名古屋を解雇されてしまいます。その後は5つのクラブを渡りあるき、2007年1月末に現役引退を発表となってしまいました。

望月重良が現役引退した理由は難病のためだった!「大腿骨頭壊死症」とは?

引退当時、周囲には明かされていませんでしたが、実は難病を患っての引退だったそうなのです。

病名は『特発性大腿骨頭壊死症』。故・美空ひばりさんや、先日舌癌を公表した堀ちえみさん、ヒップホップグループ「ケツメイシ」のRYOJIさんや俳優の坂口憲二さんもこの難病と戦っておられます。

特発性大腿骨頭壊死症とは、大腿骨頭の一部が、血流の低下により壊死(骨が腐った状態ではなく、血が通わなくなって骨組織が死んだ状態)した状態で、1年に約2000~3000人が発症、かかりやすいのは30~50歳で働き盛りの年代に好発するといえます。男女比は1.8:1と男性が多いです。

大量に飲酒される方や、ステロイドというお薬を大量に投与を受けた方に比較的多く発生しますが、何の誘因もなく生じることもあり、原因はかなり解明されつつありますが、まだ十分にはわかっていません。

骨壊死があるだけでは痛みはありませんが、骨壊死に陥った部分が潰れることにより、痛みが出現します。ですが万一、大腿骨頭壊死症になり、痛みが出現した場合でも、手術などの適切な治療により、痛みのない生活を送ることができますので、過度な心配は禁物です。

難病情報センター公式サイトより

治療法は年齢や内科的合併症、職業、活動性、片側性か両側性か、壊死の大きさや位置など、その人の症状・生活パターン等多方面を考慮して決定されます。

痛みなど本人が自覚する症状が出ていなかったり、予後が良いと判断される場合には「保存療法」といって、患部を触らずに負担がかからないよう杖などを用いたり、悪化しないような生活指導をして様子をみることもあります。

しかし、根本的治療ではないため、自覚症状があり圧潰の進行が予想されるときは速やかに手術となります。

望月重良さんは、2004年に特発性大腿骨頭壊死症と医師に診断され、それでもたとえ歩けなくなったとしてもサッカー選手でいたいと希望し、引退するまでの3年間は、つらいリハビリを続けながらプレーしていたことを後に自叙伝で告白しておられます。

望月重良の今現在の職業は?

いま現在、望月重良さんは自ら全額を出資して創設したSC相模原の代表に就任され、プロサッカー選手の活躍をサポートする経営者として活躍されています!

2011年には相模原の監督も務められ、平行してサッカー解説者、スポーツ紙のコメンテーター、サッカー指導者として、サッカー界の発展に貢献されています。

突然の大病で、一度は進む道を閉ざされた望月重良さん。それでもサッカーへの情熱は冷めることなく、形を変えてますます活躍されておられる姿が、めちゃくちゃかっこいいですよね!そのサッカーへの情熱の根源にあるのが「完全燃焼で終われなかった」という”心残り”だそうで、その残ったアツイ情熱をすべて「サッカーチーム」に注ぎ込んでやろう!という気持ちで、いまお仕事されているそうです。

お仕事のこと、サッカーのことを語られる望月重良さんの瞳がすごくキラキラとされていたのが印象的でした。つらい「引退」という選択を余儀なくされてなお、サッカーに貢献されている望月重良さん、周りの方がみな「優しい」「素敵な人」というのが良くわかります。

三浦知良と川口能活とのエピソード

そんな望月重良さんは昔から人望もあつかったようです。

例えば川口能活自分も通う清水市立商業高校に誘ったのは望月さんだったとか。当時サッカー部のキャプテンとして後輩の川口能活選手と接する時も、理不尽な上下関係などは全く強要しなかったそうで、たとえば後輩にパシらせるなどは絶対にしなかったと、のちのインタビューで川口能活選手はこたえてました。

SC相模原をアマチュアからプロに最短で昇格させた望月重良さんは、川口選手が40歳という年齢を迎え活躍の場を失いつつあるのを見て、自分のチームで現役を続けないかとスカウト。かつて「守護神」として世界に名をとどろかせた川口選手の、現役最後の華々しい活躍の場を提供しました。

43歳で引退する際、引退会見で「やり遂げた」と話す川口選手はとても素敵な顔をされてました。かつての後輩に素敵な最後の花道を用意した望月重良さんは、川口選手にお祝いの花束を渡されていました。なんかもう、じーんときました。。。

また、2012年SC相模原と横浜FCの練習試合があった際、三浦知良が笑いながら、SC相模原の代表を務める望月重良に「シゲ!俺はいつここ(相模原)に移籍してくればいいんだ」と言ったらしく、望月さんはいまだにSC相模原の背番号11を三浦知良のためにあけているのだとか。

かつて、つらいリハビリに「サッカーを辞めるか否か」のはざまで苦しんでいた望月重良さんに、先輩のカズは「俺より先にやめるのか」とエールを送り、その言葉に力をもらった望月重良さんはつらいリハビリを乗り越えて、たった5分という短い時間であったものの再びピッチに立つことが出来たそうです。

ああなんか、いいなぁ、すごい絆だなぁと、しびれました。なんか望月重良さんの人柄を番組内で拝見していたら『懐の深い人』という言葉がぴったりくるような気がしました。

望月重良の結婚相手は?子供はいる?

ちなみに、かつて女子だったおばちゃんとしては(苦笑)やっぱり気になる「望月重良さんは結婚されてるのか?お子さんは?」情報。

調べてみたところ、2015年に入籍されていることがわかりました。お相手の方の詳細などはまったく公表されていないので、おそらく一般の方かと。なので、お子さんの有無も残念ながらわかりませんでした。。。

ただもしお子さんがおられたら、男女とわずきっと親子でサッカーされてるんじゃないかなーなんて、ちょっと妄想してみたり(笑)。とても優しい方のようですから、素敵なご家庭を築かれてるんだろうなぁと思います。

まとめ

特発性大腿骨頭壊死症という難病で一時はサッカーの一線を退かれた望月重良さん。今度は経営者・解説者・指導者として、サッカー界を盛り上げられているお姿は、とてもすてきだなぁと思います。これからのますますのご活躍を期待しています!

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