消えた天才藤猪省太の今現在!天理大学柔道部の暴力問題で理事を辞任?

3月17日の“消えた天才”で『柔道五輪金メダル世界選手権3連覇のレジェンド・山下泰裕を超える天才』が取り上げられます。

その天才は、山下泰裕が世界選手権3連覇に対し、世界選手権4連覇を成し遂げ、150人以上の外国人選手と戦い生涯無敗という経歴の持ち主。しかし、10年間世界最強の座にいながら、なぜかオリンピックには出場ゼロだったそう…

その天才は一体だれなのでしょうか?そして、表舞台から姿を消した理由はなんだったのでしょうか?

今回はレジェンド・山下泰裕を超える柔道界の元天才について記事にしたいと思います。

レジェンド・山下泰裕を超える天才は誰?

レジェンド・山下泰裕を超える天才、それは藤猪省太(ふじい しょうぞう)さんです。

1950年5月11日 生まれなので、いまは60代後半(68歳くらい?)でらっしゃるはずです。香川出身の柔道家で、1970年代から80年代にかけて一世を風靡した名選手です。

当時は「世界最強の男」と称され、「畳の芸術家」と言われたほどの藤猪省太さんが、なぜかオリンピックの表舞台に登場することはなく、ひっそりと活躍の場を退かれました。それは一体なぜなのでしょうか?

藤猪省太の経歴

ここでもうすこし詳しく藤猪省太さんの経歴をご紹介します。

【藤猪省太の戦歴】

中量級での戦績

 1968年 – インターハイ 優勝
 1970年 – 新人体重別 優勝
 1970年 – 選抜体重別 2位
 1970年 - 優勝大会 優勝
 1971年 – フランス国際 優勝
 1971年 – 世界選手権 優勝
 1972年 – 全日本学生柔道選手権大会 無差別 2位
 1973年 – 全日本選手権 3位
 1973年 – 世界選手権 優勝
 1974年 – 選抜体重別 優勝
 1974年 – アジア選手権 中量級 優勝 無差別 優勝
 1975年 – 選抜体重別 3位
 1975年 – 世界選手権 優勝
 1976年 – 選抜体重別 2位

78kg級での戦績

 1977年 – 選抜体重別 優勝
 1978年 – 選抜体重別 優勝
 1978年 – 嘉納杯 優勝
 1979年 – 選抜体重別 優勝
 1979年 – プレオリンピック 優勝
 1979年 – 世界選手権 優勝
 1980年 – 選抜体重別 優勝

これはすごい。すごいの一言に尽きます。これほどの勝歴?の持ち主でおられるのに、なぜオリンピックには出られなかったのでしょうか。

藤猪省太がオリンピックに出場できなかった理由は?

それは3度の不運が藤猪省太さんを襲ったからだったのでした。。。

一度目の1972年のミュンヘンオリンピックは、ヒザの怪我で断念。。

二度目の1976年のモントリオールオリンピックは、ひじの怪我で選考会に間に合わず落選。。ひじのケガは選手生命を脅かすほどだったそうで、必殺技の背負い投げが出来なくなってしまったほどだったとか。。。それでも不屈の精神で新たな技を習得していき、世界選手権4連覇まで成し遂げました。それはオリンピックに出たい、その一心だったとのことです。

満を持して迎えた三度目のチャンスの1980年のモスクワオリンピック。国内選考会に快勝して代表に内定。金メダル獲得も期待されたその最後のチャンスであったオリンピック。。。ソビエト社会主義共和国連邦のアフガニスタン侵攻に抗議するということで、日本政府がモスクワ五輪ボイコットを強制したため、それは幻の代表に終わってしまったのです。。

個人にはどうすることもできないこととはいえ、政治的な理由で個人のそれまでの血のにじむような努力が犠牲になってしまうのは、やはり非常に残念でなりません。。。

ですが、不参加が決まった瞬間、藤猪省太さんはすっきりと引退を決意し、ランニングを辞めたとインタビューでおっしゃいました。もちろんご本人にしか絶対にわからない葛藤などあったとは思いますが、インタビューに応える姿には「やりきった納得感」がにじみ出ていたのが、すごく印象的でした。

天理大学柔道部の暴力問題

オリンピックへの道が閉ざされた後は現役を引退し、2013年までは天理大学で教鞭&柔道指導者として次世代の柔道の卵を育てていました。しかし、ここでまたも藤猪省太さんに試練が訪れてしまいます。

それは、天理大柔道部内で起こった暴力問題でした。

天理大(奈良県天理市)は、柔道部の4年生の男子部員4人が5月、1年生部員十数人の顔を平手打ちし、うち1人に鼓膜が破れるけがをさせていたと発表した。暴行は複数回あり、大学は4人の処分を検討している。天理大柔道部は五輪や世界選手権のメダリストを輩出している名門。
会見した柔道部の藤猪省太部長(63)は「柔道界に申し訳ない」と謝罪、全日本柔道連盟(全柔連)の理事と同部長を辞任する意向を示した。
日本経済新聞より引用

藤猪省太さんは当時、全柔連で暴力指導問題を機に宗岡正二会長ら新体制が発足した8月21日に全日本柔道連盟(全柔連)理事に就任したばかりでした。7月に部内の暴力を把握しながら理事に就任したことについて「大学に預けた案件だったので、自分からは言ってはいけないと思った」と釈明していたそうです。

これは、、、なんというか、藤猪省太さんのせいでは全然ないのに、なんか運命の流れが藤猪省太さんにつらく当たってるように見えて気の毒になります。。。

藤猪省太の今現在の職業は?

いま藤猪省太さんはインドネシアチームの総監督をされているそうです!さらに、海外で「外国人指導者」を育成し、柔道の普及・発展に尽力されているそうなのです。

そのきっかけになったのがなんと、ロシアのプーチン大統領!2008年に、幻の代表になった選手たちがロシアに招かれた際、熱心な柔道愛好家でもあるプーチン大統領から「ロシア国内の柔道普及活動」を依頼されたのだそうです。

そこから海外に活動の場を広げ、いまは「日本の柔道を世界へ」広めておられているのです。

まとめ

たくさんの逆風に苦しめられた藤猪省太さんですが、それでも柔道をとても大切にされているんだろうなぁという印象を受けました。私は世代が下になるので藤猪省太さんの現役時代の活躍を存じ上げないのですが、藤猪省太さんの柔道をリアルタイムで拝見してみたかったと思います。